THINK ZERO MAGAZINE

Creative Edge School Books


もし、それまでの仕事を辞めずに、副業で一人出版社を始めていたら(2015年11月27日)

一人出版社のエマージェンシーシステム「コードゼロ」の発動を阻止するため、プランBに切り替えました。この段階になると、もう無傷で切り抜けることは難しくなります。追い込まれているときって、つい「たられば」で考えてしまいますよね。「もし、一人出版社を始めなかったら」「もし、それまでの仕事を辞めずに、副業で一人出版社を始めていたら」など。自分の性格を考えると、副業(つまり二足の草鞋)の場合、かなり悲惨なことになっていたような気がします。プランだけ大きくて、けっきょく何もできないというパターン。間違いなく、大風呂敷を広げて撃沈していたと思うのです。本業があると生活は安定しているので、なかなか本気が出ない。


結果的に「専業」を選択してしまったことで、何もかも不安定になり、不確実性が異常なほど高まった。小さく始めて、だめなら次、すぐ動いて、確認して、だめなら次。毎日がこの繰り返しですから、赤ん坊のように学び、成長していることを実感しています。本業を継続していたら、こんなことはできないし、やる気も起きなかったと思います。そもそも、こんなに過酷だとわかっていたら、絶対にやらないでしょうね、これはもう「無知の勝利」です。もし、1年前の自分に会うことができるのなら、たくさんアドバイスしたい。


2012年に、DeNAさんのオフィス(渋谷ヒカリエ)で講演したとき、「A Book Apart のような少数精鋭でコミュニテイに支持されるような出版社をつくりたい」と語ったことを覚えていますが、この頃の有力なモデルの一つでした。
このビデオ(写真)は、2011年に公開されたもので、A Book Apartのオフィスが紹介されています。設立1年目で、まだ3人しかいない。でも、すでにA List Apartというメディア(ウェブマガジン)があり、An Event Apartで大きなイベントも開催していましたので、実績も媒体力も持っていました。現在、A Book Apartのメンバーは10人、5年間で16タイトルをリリース。技術やデザイン専門なのに、5年前の本が現在でも売れています。理想です。


2011年にVimeoで公開されたA Book Apartの紹介ビデオ。


2013年のパブリッシャー宣言のときは、チームでやりたかったんですね。一人でやるなんて、まったく考えていなかった。意図せず、一人出版社になり、現在に至るわけですが、ここでもまた「たられば」が出てくる。「もし、少数精鋭のチームで出版社を始めていたらどうなっていただろう」と。


2013年には、3つの選択肢がありました。「1. 出版社の立ち上げを断念する」「2. チームで出版社を始める」「3. それまでの仕事を継続して副業で始める」。結果は、まさかの「専業で、しかも一人で始める」でした。一番ありえないパターンが現実に。人生とは諸行無常なり。この先も、どう変化していくのかわかりません。



投稿日:2015年11月27日(金)




今日の一言:2015年11月27日(金)

晴れ、朝6時の気温7.1度(東京)。
2015年の平日は、あと「19日(+土日祝の11日)」。残りの平日は、19日。今の一人出版社に、土日祝日はありませんが「平日」を意識していないと、意外と困ることが多いので、分けて活動しています。今日もコードゼロ対策で慌ただしい一日になりそう。シンクゼロマガジンと、クリエイティブカテゴリのコンテンツ(MuseとDreamweaver)は、スマートフォンで進めます。
人間の耐性って、ほんとにすごいなぁと思います。「そんな面倒なこと、スマホでやってられるか!」と言っていたのに、止むを得ず毎日続けているうちに、体が覚えてしまって、指が勝手に動きだすようになる。電車に乗ったら、指が反応して「アプリをタップして、パスワードを入力して、ドキュメントを開く」。気がつくと、すぐに作業できる準備ができているのです。「あれ、いま自分でやった?」などと、覚えていないときもあります。つまり、無意識でやっている。
ただ、「脱パソコン」を実現しようとしているわけではありませんので、スマホで効率化できても微妙です。パソコンが使えないというのは、一人出版社にとって由々しき事態ですから、はやく解決したい。



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